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キリスト教映画「敬虔の奥義:続編」抜粋シーン(3)キリストの普通の人間性と堕落した人類の人間性の違い

キリスト教映画「敬虔の奥義:続編」抜粋シーン(3)キリストの普通の人間性と堕落した人類の人間性の違い

神様は人を救うために受肉されました。その外見は普通の人に見えますが、神様の受肉が有する普通の人間性と堕落した人類のそれと、本質的に何が違うのでしょうか?全能神が言われます。「神の霊が纏った肉は、神自身の肉である。神の霊は至高のものであり、の霊は全能であり、聖であり、義である。それと同様に、神の肉も至高のものであり、全能であり、聖であり、義である…したがって、人間とキリストは同じ空間にあるにもかかわらず、サタンにより支配され、利用され、囚われているのは人間だけである。それに対し、キリストはサタンによる腐敗の影響を永久に受けない。なぜなら、サタンは最も高い場所まで昇り、神に近付くことが決して出来ないからである。」(『言葉は肉において現れる』より)

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