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キリスト教映画「敬虔の奥義:続編」抜粋シーン(4)なぜ神様は人類を救うために二度受肉されるのか?

キリスト教映画「敬虔の奥義:続編」抜粋シーン(4)なぜ神様は人類を救うために二度受肉されるのか?

恵みの時代、受肉された神様は十字架に磔にされ、人の罪を背負い、人類を贖う働きを完成されましたが、終わりの日においても真理を表し、人を完全に清め、救うために再び受肉されました。人を救うためとはいえ、なぜ神様は2度も受肉される必要があるのでしょうか?全能神が言われます。「最初の受肉はイエスの肉体を通して人を罪から贖うためであった。つまり、イエスは十字架から人を救ったが、堕落したサタン的な性質は依然として人に留まっていた。二番目の受肉はもはや罪のためのいけにえとしての役割ではなく、罪から贖われた人たちを完全に救うことであった。それにより、赦されたものが罪から解放され、完全に清められ、性質が変えられ、それによりサタンの暗闇の影響を打ち破り、神の玉座の前に戻ってくるためである。このようにしてのみ、人は完全に清められる…第二の受肉は人の罪を取り除き、人を清めるには十分である。よって、第二の受肉は肉体での神の働きのすべてに終止符を打ち、神の受肉の意義を完成する。」(『言葉は肉において現れる』より)


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