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神の愛と呼びかけ 舞台劇 讃美合唱 第 9 回

神の愛と呼びかけ 舞台劇 讃美合唱 第 9 回
堕落した人類の悲哀 神とともに幾時代も歩みながら、神が万物と生きとし生ける物の運命を支配し、あらゆるものを指揮し、導いていると、誰が知っているだろうか?これは人の心をすり抜けたが、神の業があいまいで神の計画が実現されていないからではない、人の心と霊が神から遠く離れているからだ、彼らは気づかないだろうが、神に従うときも、彼らはまだサタンに仕えている。 誰も神の足跡や神の現れを探し求めない、誰も神の配慮と見守りを望まないが、この世とこの世の主義に順応するために、進んで悪に頼ろうとする、そして人の心と霊はサタンの手の中に落ち、その食い物にされる、彼らはその食い物にされる、今サタンが住み好きなように遊ぶ人の霊と心を見よ。 人の理解は消えてゆき、彼らの生存の目的と価値と、人であることの意味がもはや分からない、神をもう求めず、心は神の契約と律法を無視する、時が経つにつれ、誰が語り、誰が理解できるだろうか? 神が人類を造った訳を、誰も神の口から出る言葉を理解することも、それら全てが神から出ていると気づくこともない、彼らは神の全ての定めと律法に抵抗し始め、鈍くなった心と霊がすぐにあとに続く、従って、神は自分が造った人間を失い、人間はその根を失う、これは人類の悲劇的な悲哀だ、ここに人類の悲劇的な悲哀がある、ここに人類の悲劇的な悲哀がある。 『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

朗読「全能者の目は、苛酷な苦しみにある人類を見回っている――苦しむ人々の泣き叫びを聞き、苦しめられた人々の不道徳を見、さらに救いを失ってきた人類の無力や不安を感じながら。人類は全能者の心配を拒絶し、彼ら自身の道を歩き、全能者の目が探るのを避ける。彼らはむしろ、深海の苦さのすべてをかの敵とともに味わう。」 『言葉は肉において現れる』より

サタンによって堕落させられた人間の実状 何年もの間、人が生きるための思想は人の心を堕落させてきた、人はずるく、卑怯で、卑しい、彼らは意志も決意もなく、貪欲で、傲慢で、わがままで、自己を超越し、暗闇の勢力の束縛を打ち砕くには弱すぎる。 人の思いは腐敗しており、人は腐敗した生活を送る、神への信仰についての人の見解は、未だにひどく、聞くに堪えないものである、人は皆、卑怯で、無力で、卑しくて、脆くて、暗闇の勢力へ憎しみを感じることがなく、光と真理を愛するどころか、それらを追い出そうと尽力する。人は皆、卑怯で、無力で、卑しくて、脆くて、暗闇の勢力へ憎しみを感じることがなく、光と真理を愛するどころか、それらを追い出そうと尽力する。 『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

実際の神は知られずして人間を救う 今回神が肉となったのは、まだ完成させなければならない業を為し、この時代を裁いて終わらせ、人を苦悩の海から救い出し、完全に征服し、人のいのちの性質を変え、夜のように暗い闇の勢力による苦しみと弾圧から、人を解放するためだ。 神は幾度星を見上げ、幾度夜明けに発ち、夕暮れに帰られただろうか?大きな苦痛に耐え、人間の攻撃と「打ち砕き」に耐えながら。神はこのけがれた地に来て、人間による迫害と弾圧を静かに受け止める、やり返したり過分な要求をすることは決してない、ああ、神は人が必要とするすべてのことをただ行う、教え、啓発し、責め、人を言葉で精錬し、思い出させ、勧め、慰め、裁き、人を露わにする。神の一歩一歩は、人のいのちと、人の清めのためだ。神は人の将来と運命を取り除いたが、神が為したことは人類のためである、神の一歩一歩は人の生存のため、全人類がこの地で良い終着点を持つためだ、全人類がこの地で良い終着点を持つためだ。 『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。